1400年代の頃だろうか・・・この地域に土豪と言う人たちが住んでいたそうだ。
足利時代の中ごろから、雲行きがおかしくなり、争いの絶えない時代になった。
京都と奈良をつなぐ交通の要衝であったこの地は・・・木津城により周囲を監視する
ことが出来る要衝の地となり、応仁の乱の際は、攻防の地となった。
最後には、自焼してすべてが灰になり、その後は・・・枯野となってしまった。
少しだけ小高い丘のようなところだけれど、確かに見晴らしは・・・素晴らしい所だ。
遠くが手に取るように・・・よくわかる。
山上は、猫の額ほどの狭い所だが・・・ここに小さなお城があったのだ。